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ウェブ時代をゆく 追憶編

  • 2008-06-02 (Mon)
  • Book

はたして、カテゴリを Book にしておいてよいものかどうか…。
ともかく、

ウェブ時代の意味を描いた『ウェブ進化論』と対になった「その時代に生まれる新しい生き方の可能性」をテーマとした

『ウェブ時代をゆく』にいきましょう。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)

現代は、江戸から明治に匹敵する「時代の大きな変わり目」だ。ウェブという「学習の高速道路」によって、どんな職業の可能性がひらかれたのか。食べていけるだけのお金を稼ぎつつ、「好き」を貫いて知的に生きることは可能なのか。この混沌として面白い時代に、少しでも「見晴らしのいい場所」に立ち、より多くの自由を手にするために―。オプティミズムに貫かれ、リアリズムに裏打ちされた、待望の仕事論・人生論。

目次はご本人のエントリーを参照して頂いて、

 新刊「ウェブ時代をゆく」11月6日刊行(My Life Between Silicon Valley and Japan)

合わせて他のエントリーにも回って頂くのが吉。

結局、今回も『ウェブ時代をゆく』を借りて好き勝手に書いてしまうことになりました。
本来の文脈とは変わるところもありますが、ご了承下さい。

「時代の大きな変わり目」を生きているのかもしれないという予感を抱きつつも、目の前の現実を眺めれば何も変わっていないようにも見える。

仕事でオープンソースを扱ったころから潮の変わり目は感じていました。
しかし、自分の志向とは異なる「見晴らしの悪い場所」に移ることに。

生まれる時代が正しくても、違う場所にいれば、革命的変化が起きていることさえ知らずに一生を終える。

例の多重構造による「情報制限」と「古い価値観」のために「見晴らしが悪いい場所」へ。

情報流通を管理されたほうが、限られた情報の範囲でベストを尽くせばよいから、社員は楽である。

しかし、それではあまりにつまらないし、そういう環境で働く先に希望は見えない。

「時代の変わり目」を生きるためにいちばん重要なのは、「古い価値観」に過剰適応しないことである。

どちらかと言えば、私は適応できなかったのかもしれない。

自分の志向性を探索することは、膨大な雑音を払いのけて、自分と波長の合う信号を探すことだ。けなす対象は自分にとっての雑音にすぎない。それに関わり批判したり粗探ししている時間はもったいない。

雑音が多い世界に身置くのは無駄無駄無駄。

リアル世界における自分にとっての正しい場所を見つけられれば、リアル世界もまったく新しいものに見えてくるのではないか。

だから、その「見晴らしのいい場所」へ行く必要があった。

人は誰しも「好きなことや」「やりたいこと」に熱中、没頭しているときは、時が経つのを忘れるほどの充実感が得られ、自分に「向いたこと」だからこそ長くひとつのことを続けられる。

だとすれば、私が行くべき場所は。

働きながらウェブ・リテラシーを身につけられる職場に身を置くのも戦略的な考え方である。

それが私の選択だ。


2007 年 11 月のジュノ。

WarlockReport > Archives > November 2007

買ったばかりの『ウェブ時代をゆく』をスタバで読み終えた shunmi は、その日最後の面接に向かった。

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